■どんぐりポケットNo Cut 版 in 201209/21(文責:どんぐり倶楽部)

どんぐりポケットの教室の様子。 (通常は、18:00-19:30)

生徒は年長〜小6の混在クラス。ご覧のように、子供達は、三々五々やってきて、

1.自分で出席の名前を書く
2.着席して、一息つく。
3.問題を選ぶか選んでもらうかして、自力で自分のペースで解き始める。
4.ヒントは一切貰わない。
5.解き終えると、添削依頼に持ってくる。
*続きがやりたい場合はするし、そのままにしておいてもOK。
6.終わったら、ホワイトボードに落書きする。小声で会話を話を楽しむか、帰るかは自由。

で、こんな絵を描いています。ス・テ・キ!

■ああ!そうだ~~~!!!!

●多くの方から沢山のノートが来ています。
1000枚と言わずに、
・送っていただいた方
 と
・DONGURI-PILOT受講者の方
 には、できるだけ見てもらおうと思っています。

*画像から個人情報を削除したりしますので、ちょっと、時間をいただきます。

●展示会どころか、博覧会みたいになりそうです。

●これで、一人悶々と迷わなくても済みますよ。
 いい部分も悪い部分も、あるものがいいですね。
 なぐりがきでも、やっていると力になります。
 それも分かる!

*お楽しみに!

■作品募集(文責:どんぐり倶楽部)

●現在、子供達の作品を整理中です。 


●宜しければ、お子さんの作品(できれば落書きやメモも含む公開できるもの)の写真or現物を送っていただけないでしょうか。

ノートを送っていただければ(もちろん着払いでOK)、こちらで撮影します。

どんぐり問題は、最初の一歩が難関です。

ですが、そこを自力で越えることが思考力養成の絶対条件です。

すると、劇的な変化が誰にも現れます。

今回の作品整理は、そのことを実際の子供達の絵図で、大人が分かるように構成しようと思っています。

宜しくお願いします。

●最初から、すんなり取り組める場合ももちろんありますが、

それでも、学校の高速・大量学習で、急に絵図が描けなくなる場合なども出てきます。

そのような、変化もお見せ出来ればいいかなと思っていますので、様々な作品を待っております。

どんぐり問題を使ってあれば、匿名でももちろん結構です。

これから未来を作っていく子供達の健全な教育を保証するために、作品を送って下さい。

*問題文が写っていない場合はファイル名を問題番号にしていただけると助かります。

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<2012.10/1>昨日、ロンドンから届いたメール
【抜粋】
8月にメールに書いてくださった糸山さんの言葉を胸に、仕事に追われつつも、いろいろ考えながら過ごしておりました。

5月にどんぐりを始めた息子(7歳)は、しばらくは、悔し涙の連続で、「簡単に出来るはず(←きっとこれが息子の本心だったと・・)」の問題に手を焼いていたようですが、徐々に、書いてあることを正確に理解することの大切さを学び、9月頃からは、これまでの間違いを自分なりに消化し、それを発展させていろいろと工夫することを始めたように見受けられます。

問題を解いた後、どうやって答えを導いたか、日本語で説明させるのですが、単純な私は、え!そんな風に考えられるようになったんだと、はっとさせられることが増えてきました。

分からなければ、私に聞く、イライラする、半泣き状態、という最初の頃の様子に比べ、今は「あっちへ行っていいよ」と、一人で黙々と取り組む姿からも自分でやれる、ということが学べたと思います。

そして、問題を一人で解いた喜び、その喜びの体験の貴重さは、他の何にも代え難く、これから生きていく上で、息子は計り知れない力をつけていると、直感しております。

そのような学びの体験の機会を共有くださっている糸山さんには感謝の言葉もありません。
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*どこにいても、誰がやっても、思考力養成は「どんぐり」を使えば、100%できるということです。
ですが、既存の教育観で育てられていると、最初の一歩が結構難しいので諦める人もいます。
そこを、何とか、このメールの方のように、工夫して乗り切ってほしいものです。
相談は受けますよ。最適なアドバイスもします。

どうか、子供達を宜しくおねがいします。

連絡先:donguriclub@mac.com

■あとがき(文責:どんぐり倶楽部)

■絶対学力〜9才の壁をどう突破していくか?〜」(2003.03)【あとがき】

ここ5年の聞に、胃癌手術と脊髄内腫瘍摘出手術を受けました。
特に脊髄内腫瘍では医者から「珍しいもんにかかったなあ」などと言われました。 

人は大病をすると人生観が変わると言います。
ですが、私はこれっぽっちも変わりませんでした。
病院のベッドの上でも、子供たちからのFAXやノートを添削し、より分かりやすい指導方法や新しい英文法を考えていました。

私は子供たちに、鋭い観察力と深い桐祭力を身につけてもらいたいと思っています。

これらの力が身につけば世界は限りなく素敵な様相を呈してくるからです。
私は、これこそが子供たちへの最高の贈り物だと思っています。

そして、そのためには「考える力」が必要なのです。

昨年も奈留島(五島列島)の千畳敷で、海水浴がてら石を集めてきました。

誰一人として見向きもしない石も、私には素晴らしい石に思え、辺り一面が宝の山でした。子供たちも私の真似をして、たくさんの石を集めて「きれいだね」「アヒルさんみたい」「何で丸いのかなあ」などと言いながら品評会をしていました。
それぞれに集める基準が違うので、それぞれに面白かったようです。

些細なことですが、ここでも子供たちはうっすらと自分で自分の基準(選択基準・判断基準)を作っています。多くの場面において、自分自身で判断基準を創り出すことができる人生は一気に素敵なもの・有意義なものになります。

私は、子供たちに自分の人生を楽しめる人間になってもらいたいと思っています。

そして、その基礎力が考える力であることは言うまでもありません。
教育とは、決して知識の切り売りなんかではありません。もちろん問題の処理方法を教えることでもありません。

教育とは学力を育むことです。

親である以上、あるいは教育者である以上は、間違っても「知識=学力」あるいは「処理能力日学力」などと思わないでください。 学力とは人生を有意義なものにする必要不可欠な考える力のことなのです。教育は子育ての一環です。 保護者も教師も教育者です。
ですから、子供と接する機会のある人は誰もが「教育とは何か」を真に分かっていなくてはいけません。

教育とは人生を楽しむことができる力を育てることです。

一人一人が自分独向の判断基準を創り出すことができる力を育てることです。

そして、学力とはこれらの様々なものの見方・考え方を理解できる力のことです。

私は自分の3人の子供に、ゆう・れい・めいと名付けました。
それぞれに複数の素敵な意味を持っているからです。
ひらがなにしたのは子供たちが大きくなって自分で自分の好きな意味を選択できるようにと思ったからです。
親がいつまでも、子供たちにアドバイスできるわけではありません。
全てを子供自らが判断し、選択しなければならない時期は直ぐにやってきます。

私達のすべきことは、この時の力の素を作ってあげることではないでしょうか。

※妻の多大なる協力に感謝します。(妻とこの本に Happy Birthday)


■新・絶対学力〜視考力で子供は伸びる 〜 (2004.03)【あとがき】
小学校の先生は、誰もが哲学者でなければなりません。
なぜならば、子供たちは哲学を学びに学校へやってくるからです。
哲学というのは生き方の学問です。
そして「生きる」とは「感動する」ことです。

このことを教えるべき人間が知らずに「生きる力」を育てられるはずがありません。
「感動」を味わわせるにも視考力は威力を発揮します。
なぜなら、視考力は容易に発見を促すことができるからです。

そして、発見の中には感動があるからです。

子供は教育次第で劇的に変わります。
特に小一〜小三は「9歳の壁」を乗り越えるためのもっとも重要で貴重な準備期間です。
今まで教育界では、視考力(目で考える力)を念頭に置いて学習を進めることはありませんでした。しかし、人は考えるときに必ずイメージを使っています。

目で考えることの大切さ・楽しさ・ラクさを子供たちに意識させてください。

これさえ身につけば、子供は自力で成長することができます。視考力は、中学を出て働く子供にも、大学まで進む子供にも、等しく必要な力なのです。

今までは「計算力の強化」と「考える力の強化」は同時にはできないと考えられていました。
ところが、視考力という考え方を導入すれば、この二つは同じ方法で強化できるのです。
まずは、ご自分で検証してみてください。

アインシュタインはこう言いました。「一番よく分かるのは自分自身で体験することだ」と。
私もそう思います。
なぜならば、人の基本的な反応は誰もが同じだからです。
そして、もっとも精密に検証できるのは自分自身だからです。脳裏によぎったことや感情までも知ることができるからです。

よく見れば誰にでも分かります。特別な訓練は必要ありません。まことしやかな情報に惑わされることなく、自分が感じたこと、反応したことを信じればいいのです。

まずは、自分で試してみることです。

それからでも遅くはないはずです。費用はゼロ、時間は五分。教育は子供たちの一生に関わります。五分を惜しむ人はいないでしょう。五分で分かる新しい手法を検証しないのは、明らかに何らかの意図があるからです。それは教育とは関係ない意図です。

教育は、どこかの会社のためにあるのでもなければ、どこかの先生のためにあるのでもありません。教育は、子供たちのためにのみあるのです。どうか子供たちのために、自信を持ってください。

教育は自信がなくてはできない

自信は自分の反応を信じる覚悟がないと

生まれてこない 

私は、できあいの理論を信じません。私は目の前の子供たちの反応だけを信じることにしているからです。
しかしながら、今回だけは小山田さんという全盲の方にお話を伺いました。イメージ思考についての最終確認をしたかったからです。視覚のない方にも私の考えが通じるのかどうかを確かめたかったのです。イメージ(特に視覚イメージ)で理解したり考えたりしていることが全盲の方にもあてはまるのだろうかと思ったからです。

小山田さんは、「言葉はきっかけにすぎないですね」「イメージで考えているというのは、まったくその通りだと思います」と言われました。

この言葉を聞いて、私はこの本を書き上げることができました。
脳科学などによる証明は何百年とかかるでしょうが、子供たちへの正しい教育は今すぐ必要なのです。

今までは無批判的に、学力の基礎は「読み・書き・計算」と言われてきました。
また、誰もがそう思っていました。
そして、いまだに「読み・書き・計算」ができていれば学力は育っていると思われています。
ところが、何十年も「読み・書き・計算」をやり続けてきた結果、今日の学力低下問題にたどり着いたのです。「読み・書き・計算が徹底していなかった」という問題ではないのです。
学力の基礎が、「読み・書き・計算」にないことに、そろそろ気づいてもいいのではないでしょうか。

素振りを徹底しても実力はつかないのです。

私は、いつの時代にも子供に必要なものは、「遊び(Asobi)・友達(Tomodachi)・視考力(Shikouryoku)」だと思います。私はこれを「すべての子供に必要なATS」と呼んでいます。

日本には昔から教育改革という言葉はありましたが、教育改革そのものは存在したことがありません。

それは、教育の定義がなかったことに似ています。

「教育とは何か」

「理解するとはどういうことか」

を明確にできなかったからです。

前著『絶対学力』には

「教育とは人生を楽しむことができる力を育てること」と書きました。

そして、この本では

「理解するということはイメージしたものを頭(体)で体験して納得すること」と書きました。

この二つのことを忘れなければ、教育に失敗はあり得ません

最後に、毎年卒業生に贈る言葉をみなさんにも贈ります。子供たちに伝えたい一言です。

Your will makes your way.(君の道は君の意志が作る)

この本を、この本の執筆中に大動脈乖離で倒れた敬愛する父・幸一郎に捧げる。

■どんぐり作品155(文責:どんぐり倶楽部)

●DONGURI-PILOT受講者&卒業者・指導者養成講座受講者&卒業者に参考資料を配布します。
<■どんぐり作品>は下記にリンク先変更(作品内容も変更あり)

T.Itoyama:ホームページ変更のお知らせ

■スゴイ!(文責:どんぐり倶楽部)

子供を全く見ていない人が、
子供を褒める場合は気をつけないといけない。

子供の考えや感じ方が全く分かっていないので
言ってはいけないことを常に言うことになる。

余計なことばかりを言うことになる。

子供が、ヤル気を失うような言動ばかりをとる。

理不尽に叱ることは論外だが、
中身の無い褒め言葉も危険である。

すごくもないのに
簡単に「スゴイ!」だの「天才!」
なんて言っていては、

子供から飽きられる。
嫌がられる。
うるさがられる。

そんな言葉は、嬉しくともなんともない。

どこが、どうスゴイのかキチンと言えるのかな。

本当にスゴイ時だけ、「ココはスゴイ」と言うだけがいい。

確かな価値観を伝えるためには、
声かけの一言にも明確な判断基準を要する。

●下記は「うっぴ」レベル「うっぴ」→「この作品を見ることができて嬉しいです」
●厳しく指摘する様子「しょーすーぶんすー」→「小数は分数に変換して、分数で考える(計算する)のが鉄則です!」
●「ステキ」レベル

■早期教育に反対する理由(文責:どんぐり倶楽部)


時々

「先生は、どうして、早期教育に反対されるんですか」

と、不思議そうに訊かれる。


時々

「お金と時間を使って、ワザワザ、早産を希望する理由が何かあるのかい」

と言いたくなる。


母体に危険がない限りは、正常な出産を導くのが先人の知恵だろう。

口が裂けても、チンケな利益のために

「早ければ、早いほどいいんですよ」なんて屁理屈を付けて

言えるか!

■学習しないという自己防衛本能(文責:どんぐり倶楽部)

●急がせると理解しようとしない理由をご存じですか?

■急かされる
→自分のテンポを<壊される:本来の自分でなくなる>
→壊されるのを防ぐために受け入れないようになる
→分かろうとしないことで、敵(自分より速いテンポ)の侵入を防ぎ自分を守る←自己反応

改善策:子供のテンポよりもゆっくりしたテンポで接する

※焦ること(高速・大量・反復になる)で、子供を攻撃することになる。
攻撃されれば人間は必ず身を守るように反応する。
余裕のある子だけが、その攻撃に合わせて、反応するが、それでも無駄な時間なので、その子本来の伸びはない。
殆どの子供達は、要求されている出力形式をコピーする。
エネルギーの少ない子は、バリヤーを張るので、能力があるのに全く入力してくれない。

■<習熟>の致命的な勘違い(文責:どんぐり倶楽部)


「習熟する必要がありますから」という名目で、習熟とはかけ離れた
「考えられなくなる頭」を大量生産する作業を、強制させられている子供達が溢れている。

そう、

徹底反復
高速計算(特に暗算)
大量暗記

の「お粗末3点セット」である。

ハサミの使い方がどんなに上手くても、紙を切ることができないのでは、それは、ハサミを使えるとはいえない。

ましてや、習熟していることとはかけ離れている。

ハサミそのものを、紙を切ることをしないで分離して「使える」ことを、はさみ力とは言わない。

それは、異常な捉え方である。

ハサミを「高速でカチカチ」ならす練習を指して「習熟させています」と言う人(大人)には要注意です。

応用自在であること。これが、習熟するという事だ。

ところが、計算力などといって、計算だけをしている。何の応用もできないようにして「習熟させた」と言う。異常である。

少なくとも、「速く」は習熟項目には入らない。
ましてや、考えないないでもできるようにしましょう、は「習熟」とは真逆のことである。

いい響きの言葉には要注意である。
※お馴染み「脳の活性化」は、勘違いの最たるものである。
http://reonreon.com/nou.html

■ハサミに習熟しているとは、こういうことができることを言うのです。
*切り絵作品:蒼山日菜作
<蒼山日菜:Hina-Aoyama>
神奈川県横浜市出身の切り絵作家。現在はフランスのフェルネ・ヴォルテール在住。アルプス山脈とジュラ山脈に挟まれたジュネーヴ近郊に在住。2012年で切り絵歴12周年を迎える。2008年にはスイスのシャルメ美術館で開催された第6回トリエンナール・ペーパーアート・インターナショナル展覧会に初出展し、コンクール史上初となるアジア人初のグランプリとなった。他フランスでの初出展での受賞多数。
チューリッヒBELLERIVE美術館にて、チューリッヒ初と言われる「切り絵展」にて大作を展示。ニューズウィーク「世界が尊敬する100人の日本人」に登録。

■アドバイス:学校導入編(文責:どんぐり倶楽部)

■アドバイス:学校導入編

お待たせしました。

学校での導入ですが、下記の点に気をつけて下さい。

●ただの、「お絵かき」ではなく、相関関係がわかるような「構造的なお絵かき」でなければ意味がありませんし、それが理解というになります。

 幼稚園ではできませんし、文字に頼っていてもできない、最も重要なことです。

 複雑な相関関係を明示できるようにするということです。

 これができれば、つまり、描けるようになれば、その絵図を見ながら説明するだけで、どんなことでも、言葉でも文字でも説明することができるようzになります。何と言っても、見ながら説明するだけですからね。

●一つやってもらいたいことがあります。
 読み聞かせる時は、必ず目を閉じて、一旦、頭の中で、描く絵を作り上げるように指導して下さい。
 また、読み終えるまでは描き始めない。そして、頭の中でイメージできていない場合は目を開けない。
 一回でかける子は、間を開けて描きますが、目を閉じている書けないこのために三回連続してゆっくり、読み上げてください。
 書き終えた子は静かに待つ練習をしてください。
 余計な絵を描いていても結構ですので、静かにしておくことが大事です。
 こうすることで、一行全体を一気に書くようになります。
 文字は見せない方がいい場合もありますので、文字を見ない場合も試してもいいと思います。

●見本は、読み上げながら描きながらで、五分ですね。で、残りの35分で小1と同じです。
 ただし、こちらは、文字を見せない方がいいと思います。

>デンタ君
●ポイントは手を感じて進めること。次に、手を見ないで、次に手を動かさないで、次に、頭の中に手を描いて。ですね。

>立ち歩く子
●文字を介さずに。言葉、文字をリンクさせて、描いたものを見ながら加えていく。机に座っている必要は一切ない。
その子には、黒板の半分は必要ですね。
>放課後の時間帯
●複雑な問題(一見しただけでは答えが分からない検討がつかない問題)を1行だけ、読み上げる
→子供達が描く時間を置く
→5分程度(描けていなくてもOK)
→お手本を描く
●1行だけ、読み上げる
→子供達が描く時間を置く
→5分程度(描けていなくてもOK)
→お手本を描く
●1行だけ、読み上げる
→子供達が描く時間を置く
→5分程度(描けていなくてもOK)
→お手本を描く
●1行だけ、読み上げる
→子供達が描く時間を置く
→5分程度(描けていなくてもOK)
→お手本を描く

※全体を通して、「体験しながらお手本を見る」程度でいいともいます。
「こうすれば解けるんだ」体験ですね。
落ち着いてはできないようですから、途中で切って、お手本を目にさせておく方が重要になるかもしれません。
全てを自力でできるようにするのは、キチンと時間枠をとってもらってからでしょうね。つまり、枠をとってもらえれば、本当の学力養成はできるが、慌ただしい中では見本を見せるところまでだということです。

>幼稚部
●子供達の書いた解答(絵図)は誰でも目にすることができるようにしたほうがいいです。すると、脱走する子にとっても、他の子供達の絵図ができあがるわけですから、学力の離れ具合が目で見れますから気になります。気にならない子には、何を言っても無駄ですから、それはそれでokです。

●読んであげるのがいいでしょうね。この時は、一緒の問題になってしまいますが、いいですよ。同じ絵は書かないようにしましょうね。 自分の絵だけが、自分の力になります。と伝えるづけるしかないです。

*どんぐり問題の構成要素の一つに
「寄り道をさせるような仕組み」があります。
「寄り道」とは、解こうとしている問題には直接には関係のない「思考回路」を作り上げる機会も用意してある、ということです。

目の前の問題を最短で完結に解くということは最低の回路しか使わないという、最も貧弱な回路使用の方法です。
これは、中学生から、少しずつ必要にもなりますが、12歳までは無用であるどころか、豊かな回路作成の邪魔になります。

「寄り道しながら正解にたどり着く」ことが、自然に楽しく、無理なく無駄なく効果的に豊かな思考力養成を約束するのです。

例えば、ある問題の解決方法は2種類(A.B)がある。→最短で解く場合は、A.Bのどちらかしか手にはいらない。
ところが、遊びながら余計なことをしたくなるように設定してあると、問題解決には必要ないが、人生の中では(他の問題を解くのに必要となる)重要な思考回路であるC.D.E.Fも身につけることができる。

この時点で、スマートに見える寄り道しない子は
AorBのどちらか1つ
どんぐり問題を楽しむと、ABCDEFの6種類を身につけるんです。

コレが毎回起こるのですから、その差は大きくなり巻き返しは不可能です。

12才以降に、
持っている思考回路を使わないことはできますが、
持っていない回路を使うことは不可能だからです。
すべきことは明白です。

>次回続きをしてもらうグループを作るか、家でやりたがっているのでそのまま持ち帰らせるか。
●そうですね。そのへんも、本当にどちらでもよくて、丁寧に仕上げることが大事だということを伝えるのにいい機会です。1問に1ヶ月かかってもOKですからね。

●解答作品は、教室に飾ることができますか?これは、非常に良い効果を生みます。壁一面に作品が並ぶ教室は、それを見ているだけで、思考回路養成になるんですよ。目に入りますからね。視覚の自動記録作用が働き出します。
できたら写真が欲しいですね。

>数を実感してないのがよくわかります。
●どこでも使える「指」で実感するように毎回指導してくださいね。足の指も想像させてもいいですよ。

>よくまあ、覚えているものです。
●そうなんですよ。ですから、1行を聞いてイメージを楽しめば、そのイメージが消えないうちに一気に描こうとするので文字は見せないほうが全体の進度も理解度も上がります。

※この辺の技は、指導編の奥義ですね。面談の時にお母さんにお願いすることがありますが、あまり話したことはありません。人間の「言葉の再現性」「幼児の記憶力の優位性」を考えると、文字を仲介させない教育のほうが5-6才(それ以前は当たり前)までは効果的なんです。