■体罰と頭罰(文責:どんぐり倶楽部)

●途中原稿ですが、一旦UPします。

体罰問題は、宿題問題と同根である。

体への指導の変形が体罰で、頭への指導(昔の宿題の影響)の変形が頭罰(今の宿題の影響)である。
本来は、体罰問題の体罰も体罰ではなく、練習応援・習熟補助という「指導的習熟補助アドバイス」である。
ところが、そのアドバイスが<今の時代は>体罰そのものになるのだ。
内容(何をしたか)ではなく効果・影響が全く異なるからである。

原因は明確である。
環境変化による、受ける方の変容に気づかずに、昔の効果・影響を期待したがための勘違い教育(ME:Misunderstanding-Education)である。

全責任は、見抜けない・気付けない指導者側にある。

気づけば、アドバイス法を変えることも、本質的な体質改善も可能だ。

全く同じことが教育界では、形を変えて充満している。
その最たるものが「宿題」である。
何十年も警鐘を鳴らしているのに全く気づかない。

子供達を取り巻く教育環境要因が、大きく変わったことによる、影響を受ける側の体質の変化、
つまり、影響の度合いの変化に気づかなければ、
「昔は大丈夫だったから、今も大丈夫なはずで、同じことが通用しないのは、子供のほうが悪い」と思っているだけで、大惨事を引き起こす。

現在の本当の効果・影響を知らなければ、使用している人の思惑とは全く異なる結果を招くのは当然である。

昔は、水が豊かで、魚釣りができていた場所でも時代とともに変化してきた環境の違いで、湖だった場所が今では、森になっている。
そこで、昔はここで魚釣りをしていたのだから、魚が釣れないおはおかしい。
私がおかしいのではなく、この場所がおかしいのだ。
では、話にならない。
現状がどうなっているのかを見ぬかなければ、昔やって効果があったのだから、は無意味なのだ。
環境そのものが変われば、そこで成長するものも変わる。
根本的に変わるのだ。

だから、

使うものが同じでも、効果・影響が全く異なる。

湖の上に、火のついたマッチを投げ捨てても家事にはならない、影響はさほどない。
ところが、湖だったところが今は枯れ葉が幾重にも積み重なっている森なのだ。
そこで、火のついたマッチを投げ捨てればどうなるかは誰にでも分かることだ。
森の中にいるのに、そこは湖だと言いはって、火のついたマッチを投げ捨てているということだ。
今を見なければ、目の前の子供自身を見なければ、「昔は」は全く通じない。
「宿題が凶器になっていることが見えていない」ことと同じである。

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