学校を活用するために必要な知識と技 by Ms.E

E means Education 

現代では、健全な教育の中心に、現代の教育環境をよく理解した上での、現代特有のマイナス学習に対する対応策や回避策を含む予防教育を据えることが重要である。

このことを承知しておかなければ、教育環境の悪化に気付かずに時代に流され、善かれと思ってしたことがマイナス学習になりかねない状況となっている。

現代(2000年代)ほど、様々な教育情報を、環境の影響による変化に対応させて(調整して)正確に理解し、学習の制御をしなければならない時代はない。

主な原因は、スピード生活と、(仕組みの)見えない化と携帯電子ゲーム(遊びの貧弱化)という、主体的に動くチャンスを奪われている生活環境と教育環境だと考えられる。

日常生活の中で、目に見えるカラクリ(複雑な仕組みを目にする機会)から、思考回路を導き出すチャンスがなくなり、自然を感じ、味わうことを軽視して、思考の原形回路を作るチャンスを逃している。

今までなら、偶然だったり、否応なくだったり、放任された結果だったりが、偶然にも何かを深く感じ、味わい、考えるチャンスを作っていた。
ところが、今は、その偶然(の思考回路養成のチャンス)にさえもめぐり合うことは難しい。

環境が変わりすぎたために起こっている、かつての無害学習の有害化は、現代のアキレス健となっている。そして、その学習が「宿題」という呼び名の場合には、対処法に一考を要する。

学校は、最も身近にある、使うべきものであり、対立するべきものではない。

ましてや、戦いの相手などではない。

当たり前である。

学校とは、学び舎なのだから。

が、しかし、時として、身近にあるが故に、子供に最大の影響を及ぼすという点において、最大の危険因子となる。

この点は、常に覚悟しておかなければいけない。

「いい先生だから」「お世話になっているから」では、済まされない場合もあるということだ。

最終的には、自分の子供は自分で守る。
他の誰でもなく、自分が守る。
これは、子育ての鉄則である。
親は、子供を保護するものであるが故に、保護者と呼ばれるのだ。
12才までは、子供は、親に保護されなければならないのである。

イジメによる自殺が続いている。

「いい先生だから」「お世話になっているから」で、済ますことができる親がいるとは思えない。
学校教育で潰される子供も同じである。
親が気付かずに、誰が気付くというのだろうか。
それは、非常に危険な思い違いである。

いつの時代も、表面的に頭を良くすること(成績UP)は、簡単だった。
手法は1つだったからだ。
パターン学習である。
今でもそれは変わらない。
全く進化していないのだ。
シーラカンス教育とでも呼びたくなる。

学校をキチンと整理学習の場として使うことができるように生活環境を整備し、準備学習ができるようにすることと、整理学習の量が子供に合わずに破壊学習にならないように監視して、子供にジャストフィツトするように調整する必要がある。


どんぐり問題の集団授業での使い方

どんぐり問題の集団授業での使い方

45分でも50分でも同じです。

教師の持ち時間は10分です。

まず、先生が問題文を一行ずつ読み上げて正確に下手に、余計なものを加えながら、楽しく絵をかき上げます。

ただし、お手本は見せても解法を見せては、いけません。

式は書かずに、止めます。

理解までは示すが、思考は見せない。がポイントです。

あとは、「よ~く見れば分かります。」とだけアドバイスします。

高学年では、描き直したり(Copy)、動かしたり(Move)、比較したり(Compare)、変形したり(Change)すると見えてきます。とも言います。

思考の具体的方法(文字の絵図化→よく見る→相関関係をとらえる)を伝えるだけです。教えません。

40人全員が違う問題をします。

子供達の作品は、HPで2000件程ご覧頂けます。
http://reonreon.com/index.html


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TEST with a picture 思考形態の変化

my room

思考形態の変化(^-^)/メモです

複雑さの度合いの違いはあるが、思考の本質は、視覚イメージの操作という点では同じものである。
ただし、成長に対応した、この複雑さの度合いを構成する方法(特に伝達方法と情報処理方法:思考形態の変化:脳の使い方の変化:脳内エネルギーの使い方の変化)

幼児・児童期には、言葉を仲介にしないで、思考材料の本体である視覚イメージそのものを操作することで、言葉による混乱(言葉と、その言葉が表す視覚イメージのズレや欠落)や、曖昧さを回避することができるので、無理なく、無駄なく、効果的に思考回路養成が可能となる。
ここで大事なことは、思考材料の本体ではない、言葉という記号(思考材料本体である視覚イメージを導くトリガー)を増加させることは、思考回路養成の邪魔になるということである。
ー生使う原形思考回路を作るべきこの時期には、余計な情報入力による昆乱学習だけは避けたいものである。
※幼児・児童期は、思考材料を直接扱って原形思考回路作成ができるようにする。少くとも邪魔だけはしないことが肝要である。
前期は具象物を使い、後期は具象物+視覚イメージを使う。これらの時期にも、言葉は発達し続けるが、その言葉は、具象物+視覚イメージを導くトリガーに限定すべきであり、いたずらに、言葉を増やそうとすると、使えない材料ばかりが増えてしまって、肝心の回路を作り上げることを難しくする。というのも、回路は、工夫することでのみ作られるのであり、材料があれば増えるものではないからである。というよりも、むしろ、材料は、自由自在に使える少量のものに限定しておくことで、様々な工夫をすることができる(しなければいけなくなる)のだから、この時期の言葉の増加だけを狙った学習は、的外れ学習(マイナス学習)となる。
高学年になると、リモートコントロール思考ができるようになる。サブルーチンを使った複雑思考ができるようになるので、所謂、抽象思考が可能となる。ここで注意すべきは、抽象思考が可能となってもなお、思考回路作成は、「具象物+視覚イメージ」で続いていることを忘れてはいけないということである。抽象思考ができるようになったからといって、抽象思考を強化しようとするのは早計である。抽象思考に使うための豊かな思考のサブルーチンをできる限り作る時期なのだから、「具象物+視覚イメージ」特に、視覚イメージ(絵を抽いて絵で考えること:視考力を活用した思考力を十分に使う(鍛える)ことが大事である。

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教育が失敗する時

教育が失敗する時:

2~12才の10年教育の重要性

1、2~12才の間に、
感情を殺す手法で論理的思考を育てようとした場合
※高速・大量・反復は、無条件に当てはまります。

2、2~12才の間に、
論理的思考をうながす教育をしない場合
※10年教育の間に、思考力養成を始めないということです。

❏詰め込みの失敗は、 同時感情教育をしなかったからです。
❏論理的思考を強化しようとして、非常に時間を要する感情教育の必要時間を削りとってしまったのが原因です。
❏気付いていた(シックリこなかった)家庭では、意識的に感情を育てる時間をとってバランスを保っていたが、そうでない家庭では、意識的に感情を育てる時間をとるどころか、学校と同じこと(感情育成の妨げになる方法での学習)を徹底反復してしまった。
これでは、健全な成長は望めない。どんなに徹底しても、出来上がるのは、簡単なパターン学習の猿真似ができる程度でしかない。
しかも、悪いことに、感情が育っていないと、幼稚な判断しかできないので、残虐で短絡的な行動をする人間になってしまう。

ゆとり教育の失敗は、詰め込み教育の本当の失敗原因を特定出来ないままに、論理的思考の育成(表面的な知識増加程度だったが)を止めてしまったことにある。

この時期には、論理的思考力養成を家庭や枚外ですることになるが、残念ながら、そんな教材はなかったので、それさえもいい加減になり、表面的な浅い思考力さえも育てられなくなってしまった。

理論の置き忘れであるが、そもそも、思考力養成の方法も理論も持っていなかったのだから、「お題目」だけ提示しても現場では、全く動けなかったのは当然である。
この時に、本当の思考力養成ができる「どんぐり」の現論と手法が入っていれば、日本の教育界は、全く異なっていたことは、間違いない。

❏片輪ずつ動かして(育てて)も前に進むと思っていたのが間違いなのである。

馬力はなくとも、常にタイヤの両方がバランスよく回っていれば、少しずつでも前に進むが、片輪ずつで、しかも、とんでもなくアンバランスに回していては、決して、前には進めないのは、当然です。
右だけ回して、左だけ回しても、前に進むなんてのは、アリエナイ! さて、ここで、言いたくはないが、言っておかなければならないことがある。
これは、私の教室に来ている(連れてこられている)子供にもあることなので、ましてや、一般家庭では、非常に多いことだろうと、予想される。
子供が、考えることを大事だと、思わないどころか、なぜ考えなければいけないのか?と思っているのだ。

学校に合わせた言動をとっていると、考えない学習以外の学習を受けつけない、あるいは、受けつける必要性を全く感じないので、親が考える学習を進めようとしても受けつけないこともある。ということである。

驚くべきことだが、子供は、大人の求めるように育ってしまうという実証である。

時として、それは、考えることが面倒だし感じるようにされてしまった後だと、親子よりも、師弟関係の方が強くなる。
つまり、学枚で考えない学習をしていると、家庭で考える学習をさせようとしても、強力な抵抗を受けることがあるということである。 思考を固められている。

【有能感を育てるタイミング】
お手伝い期に、十分にさせる(してもらう)ことで満足回路を作ることもできる上に、
「ありがとう、助かったわぁ」
と言う(特に有能感を育てる言葉である「助かった」を言う)ことで、他人の役に立つ楽しさや充実感を味わい、自ら、誰かのためや社会のために働くことを楽しく思うようになる。

【基本原理】
自動記録(視覚イメージは自動的に記録される)
自動再現(記録されている視覚イメージは、様々なトリガーによって、自動的に再現してしまう)

❏体の制御をする命令系統で使われる材料は、思考の本体である視覚イメージ。
つまり、同じものが頭にも体にも使われている。
だから、体は頭(再現された視覚イメージ)の後追いを(無意識に)する。
※ココが、見せない教育のバックボーンでもあるのが、お分かりだろうか。
「花を折ってはいけません」と十レーションを流しながら、花を折っている映像を流すと、<花を折りたくなる>ということだ。

❏「見せない教育」の重要性
物心ついた後(視覚イメージの再現が可能になった後)に、見せるべきではない映像を見せると、その映像を自動的に記録し、再現してしまう。
すると、がメージを体現したくなる(体の後追い現象:体は頭の中の視覚イメージの後追いをすることで体を制御しているので、再現された視覚イメージを体現したくなる)

【速さは思考力養成の強敵である】
親子であっても、一卵性の双子であっても、テンポが違います。
その子のテンポよりもゆっくりした速さで接することが子育てと教育においては、最も基本的で重要なルールである。

「いつも子供にばかり合わせていられない」と言われるのも、もっともです。

ですから、教育面から言うと、自分の子育と対応している時以外は、速くても良いのですから、子供とテンポが違う親(大抵の親は子供よりも速い)は、子供のいないところで、自分のテンポに戻ったり、仕事のテンポに合わせたりすべきです。

ただし、自分の心の健康のためには、ゆっくりと過ごす時間をとることが必要であることも、覚えておきましょう。バラバラにやってる時間は、そうそうとれない。基本的にどんぐりは、シングルマザーで3人の子育てをしてい3人でもできるようにしてあるからね。
あっちで、感情、こっちで理論なんてのはキケンな上にムダが多すぎる。
それに、実際にうまく作用していない。バランスよく、どちらも豊かに育っているのは、極々稀なケースだ。

しかし、両方を同時に育てることで、ゆったりと時間を使えるので、誰にでも、素敵な子育てが楽しくできる。 そのための、どんぐり倶楽部であり、「どんぐり理論」である。

テスト

予防教育研究所開設

最終形態は、予防型である。
成長に関するケアで、最良の形態は治療も知っている予防型ケアである。
どんぐりは、まさしく、治療も知っている予防型ケアである「予防教育」を理論と実践を示しながら、提唱している。

ストレスがなく、何でもアリがいい。
これを十分に行った後には、限定した中での工夫を要求する。その為にはルールを設定する。
リンコとりんごで、口を大きくあけることはできません。とすると、他のことを考えざるをえないのと同じ。
人工のルールがあるスポーツよりも、自然のルールしかない外遊びの方がいい。